梗概
「産業立地が第三世界の国土構造に及ぼす影響
~タイ国におけるケーススタディ~」
東京大学大学院 工学系研究科 都市工学専攻 修士論文
1. 本論文の趣旨
1-1 研究の目的
80年代のアジアの経済成長の一翼を担った東南アジアのタイ王国では、その飛躍的な発展の陰で、多くの都市問題を抱える巨大都市バンコクと地方部を隔てる大きな格差を埋めようと様々な努力がなされてきた。バンコクへの一極集中を改め適正な国土構造を保つためには、経済発展の中核を担った産業立地の分散が不可欠だが、発展を目指す国々がひしめき合う「大競争時代」の中で、産業立地を国内の僻地へ誘導するのは簡単なことではない。
この論文の目的は主に次の2点、すなわち、
・タイが地方分散と格差是正を進めるにあたって採用してきた政策が、産業立地にどのように寄与したか
・将来さらに進むと思われる分業構造の国際化の流れが、国土構造にどのような影響を及ぼすか
である。
1-2 論文の構成
まず第2章では、アジア全体の経済発展と産業立地がどのような動向を示してきたか、さらに現在問題となっている空洞化や将来進むとされる分業構造について述べる。第3章ではアジアの中でタイを取り上げ、工業化の変遷や富の分散の問題について述べる。第4章では、現在まで産業政策を司ってきた機関、計画、インフラ整備などをまとめ、その立地政策を調べることにより政府の地方分散政策に対する考え方を示す。第5章では、そうした歴史や政策を受けて、現在の経済成長の原動力となった製造業の立地がどのような傾向を示したか、さらにそれがどんな意味を持つのかを分析する。そしてそれら全てを踏まえた上で、第6章に結論を述べる。
2. タイ王国
2-1 その特徴
アジア諸国の中でのタイの特徴をまとめると、
・元々農業国であったことから都市人口が小さくGDPに占める農業の割合も大きいが近年は工業化が大きく進展してきている、
・100万人以上の大都市はバンコクだけであり、人口は工業化や都市化が進んでいる現在でも比較的分散しているのに対して、国内総生産はバンコクとその周辺部に著しく偏っており、これが大都市部と地方部の格差となって表れている、
・戦後から一定した経済政策のもと安定した成長を続け、外資の導入により80年代後半に飛躍的な経済発展を遂げた、
・労働集約型産業で成長してきたが近年は周辺国の追い上げにより産業の高付加価値化や労働力の熟練化など産業構造の改革を迫られつつある、
などの点をあげることが出来る。
2-2 地域格差
タイは経済発展の陰で常に地域、階層格差に悩まされてきた。発展の成功はこの解決抜きには考えられないが、抜本的対策はまだ見えずその格差は拡大している。地域格差を端的に見るために首都圏と地方部を比較すると(右図1)、人口においてはそれほど目立った動きはなく現在でもバンコク首都圏合わせて15%程度の人口を占めているに過ぎないが、産業の発展の度合いを端的に示す県民総生産(GPP)の比較では50%以上を占めるという極端な一極集中構造となっており、タイの産業・社会の「二重構造」を数字の上で裏付ける結果となっている。1980年代後半からの経済成長も同様にバンコクが中心的な舞台となっているため、一人当たりGPPを指標とした格差も広がる一方となっている。
3. タイの産業政策と開発計画
3-1 産業政策
政府は本来、経済開発と共に地方分散を進めて所得格差、階層格差を軽減するという最終目標の元、産業の地方分散を、国家計画、投資政策の両面から誘導するはずであった。
1992年から96年までの第七次計画では、それまでの一次元的な拠点の定義に加え、面的なゾーンでの開発促進が述べられている。・東部地域(マブダプット、レムチャバン、ウタパオ)、・東北地域(ナコンラチャシマ、コーンケン、ウボンラチャタニ)、・北部地域(チェンマイ、ピサヌローク)、・南部地域(クラビ、ソンクラー、スーラターニー)の、計4つの地域に設定された「新経済ゾーン(New Economic Zones)」、同時に「工業開発拠点」の定義もされている(図2)。インフラ整備がその重点課題として設定され、これらのゾーン、拠点を中心に地方分散を進めていく方針がうたわれた。
また投資委員会(BOI:Board of Investment)は、地方振興を促すため投資奨励地域(第1~第3ゾーン)を指定し、バンコクから離れた第3ゾーンを最も大きな恩恵(税免除・減免の期間・割合などでの特別優遇、輸出条件の緩和など)を受ける地域に定めている。
3-2 インフラ整備
しかしながら、現実的な工業団地の立地や大規模開発計画においては、バンコクの影響が少なからず見える(図3)。
工業団地は、一般の資料では40強とされているが、6つ以上の資料を参考にした限りでは80あまりが工業団地として認知されている。立地は、地方にも分散しているが、基本的にはバンコクとその近隣県に多い。設立年代は判明分についてみると90年代の完成が非常に多く8割以上を占める。またバンコク内でも1991年に工業団地が完成するなど、90年代の動きは全国的である。
大規模開発としての『東部臨海開発計画』は、チョンブリ、チャチェンサオ、ラヨーンの3県、広い意味でのバンコク圏内を対象としている。国家計画やBOIで求めているような地方分散を求めるのであれば、本来はそうした投資は地方に向けられるべきであったが地方では産業が育つために不可欠な要素が不足しており、現実的には深海港が建設でき、大市場のバンコクにも近いこの地域が開発に選ばれたと考えられる。
これらが政府本来の政策に反してバンコクの影響を受けたことは決して失敗というわけではなく、周辺諸国に競争相手の多い時代の中でタイは、バンコクとその周辺に集積して発展した製造業を元に飛躍的な経済成長を遂げているのである。
3-3 郡レベルでの立地
バンコクへの集中は全国、県レベルだけでなく、細かく見て郡レベルでもその傾向が見られることが、南部、東南部の3県を対象に郡レベルの立地まで載せた図4よりわかる。
工業立地はほとんどが主要幹線道路を中心とした開発、日系企業はバンコクを離れるほど工業団地にまとまって立地するケースが多く、これはインフラ供給の不安定な地域では各種サービスの提供が保証される工業団地への立地が最も効率的であることを示している。一部工業団地外にあると思われる工場もあるが、いずれも主要幹線道路沿いに立地しており主要幹線道路の重要性がうかがえる。日系企業については、バンコク都以外ではほとんどの企業が製造業関連であり、バンコク近隣県以外では例外なく製造業である。
人口動態を見てみると、海岸部に人口が集中しつつある様子が見て取れる。人口密度は例外なく海岸部で高く、内陸部で低くなっている。バンコクの郊外化により宅地開発も進み同時にバンコク第二空港の建設等で新たな産業立地が見込めるサムットプラカン県中央部と、東部臨海開発計画の進行により発展し続けているレムチャバン港を中心とするチョンブリ県東部が現在は人口増加の中心といえるだろう。今後も海岸部の国道3号線沿いを軸とした開発は進み、それは徐々に内陸部にも広がって行くとみられる。チャチェンサオ県からさらに北のプラチンブリ県にいたる国道304号線沿いは、今後タイが今までと同じ様なペースで経済成長を続けていった場合、3号線に似たようなコリドー状の高人口密度帯を形成するようになると思われる。

4. 製造業立地の傾向
4-1 データソース
製造業の立地について著者は主に『ASEAN進出企業総覧'96』1)、および 『盤谷日本人商工会議所会員数の推移(1965.4-1994.12)』2)の両データソースを用いて、独自に集計、分析を試みた。特に立地については前者掲載の約1000社を分析している。
4-2 日系企業の立地動向
80年代後半の経済発展を支えた外国資本の最大手である日系企業(製造業)の動向をまず見てみると(図5)、1996年4月現在、商工会議所会員数は全部で1082、内訳は、商事会社が186、製造業が523、その他が373である。80年代後半に高い伸び(86~90年で62増)を示している他は、着実な伸びを示している。製造業はそのうち常に半数を占める。
製造業の中での内訳については、1996年4月現在製造会社のうち駐在員事務所(52)を除いた製造業関連会社471の中で最も多いのが、電気機械関連の124企業である。次に自動車の72、化学の66、金属の62、繊維の55が続く。これらの順位は、年代ごとに変化している。77年までは製造業の中では繊維が最も多かったが、78年から88年までは自動車がトップ、さらにそれ以降は電気機械が急増し、現在では2位以下を大きく引き離しており、繊維→自動車→電気機械と投資の対象が移り変わる様子がよく反映されている。
立地については、図6より半数近い企業がバンコクにあることがわかる。第3ゾーンへの立地はわずかで、ほとんどが首都圏を中心に立地している。ただしここ数年は、第2・第3ゾーンへの展開の動きも見られる。
4-3 大企業の立地傾向
タイ証券取引所立地企業のうち製造業218社の立地動向を調べると、本社の立地はバンコク都に8割以上の企業を立地し圧倒的な数である一方、工場立地場所に関しては、バンコク都に比べて隣接県、また首都圏外の企業が多くなっている。バンコクの影響力をどこまでに設定するかで違いはあるが、バンコク都以外の工場立地でも周辺県での立地が多く(周辺県合わせて6割強)、遠く離れて労働コストの安い東北部、北部などに進出しようという動きは鈍いことが示されている。
4-4 バンコク依存の要因
第3ゾーンへの立地が近年になって増えているものの、立地が示すようにらバンコクへの依存度はまだ高く、政府が計画で示すような地方分散が思惑通りには進んでいないことがわかる。
著者は、こうした産業立地におけるバンコク依存の原因を探るために、タイに進出した様々な規模、業種の日系企業についてインタビューを行い、実態調査などの文献データと併せて分析した。
バンコクへの依存度が高い理由としては、
・巨大な市場:国内市場を相手にする場合もタイ唯一の大市場であるバンコクを中心に考えざるを得ない、
・許認可・税関業務などの集中:工場の運営に必要な許認可の取得や税関などを執り行う事務所がバンコクに集中している、
・特定の産業インフラ:道路、電力、水などのインフラは各地方の工業団地でまかなうことが出来るが、地理的要素が決定的な港湾の重要性は大きく、タイ湾にも面したバンコク周辺にどうしても立地せざるを得ない、
・生活インフラ:高学歴労働者や日本人派遣者のための高度な生活関連施設がバンコクにしかないため、地方ではこうした熟練労働者を雇うことが難しい、
などが挙げられる。これらの理由により、地方における労働コストの優位性はなかなか発揮されないのである。したがって、80年代以降様々な目的でタイに乗り込んでくる日系企業も、結局はほとんどがバンコク周辺に立地を余儀なくされている。
4-5 オフィスと工場の立地
製造業の本社と工場がどのような立地関係にあるかを検証すると、バンコク都内に本社のある上場企業は、BOI第2・第3ゾーンも含めて工場立地が分散しているのに対し、バンコク以外の県に本社を持つ企業の工場は、バンコク近隣県に本社がある企業も含め、全て同じ場所に工場がある。バンコク都中心部に本社を構えた場合、生産部門をより郊外の工場に任せ本社を情報・管理機能に限定しているのに対して、隣接県での立地では、生産から管理まで全ての業務を隣接県で行おうという各企業の意図がわかる。
日系企業については、著者の電話調査によると、バンコク都南隣のサムットプラカン県等の近隣県で工場を設ける場合、オフィス機能も同時に持つことが出来ることがわかった。バンコクですでにほとんどの工場が郊外に出ていってしまっているのと対照的である(右表1)。
製造業の近隣県への立地においてバンコクにオフィスが必ずしも必要でないことは、都心からある程度距離が離れた首都圏域での産業拠点、あるいは副都心計画が可能であることを示している一方で、それ以上遠くには製造業もほとんど進出しない(進出する場合バンコクに本社機能を残しておく)ことを考えると、バンコクから遠い第3ゾーンへの製造業の進出が容易でないことを示している。
5. 分業構造と地方分散
5-1 業種別立地
さらにくわしく、業種と立地の関係をまとめると(図7)、比較的早い段階に開発国に根付くと言われる繊維、食品産業がより都心に近い位置に立地し、自動車機械、電気電子等にいくにしたがって、都心から離れた位置に立地するようになる。年代別に見ても上記のような繊維→自動車機械→電気電子という順番で立地のピークがきているので、より古くから立地している産業ほど都市の中心部に立地していることになる。
高度な技術を用いる産業、あるいは資本集約的な産業ほどバンコク都を離れて地方に立地する傾向があるようだが、これは地域開発の一つの核として産業誘致をもって雇用の増加を狙う地方にとってはあまり好ましい結果とは言えない。現在ではまだ、自動車・家電産業の工場は組立が主流であり、多数のタイ人労働者を採用することにより雇用増進に貢献しているが、バンコクを遠く離れたところに立地しているわけではなく、広い意味での都市化と一極集中を助長する結果となっている。今後第3ゾーンへの進出が多くなっても、進出企業はそれなりに高い技術を持つ企業が多くなり、コストが安くても必ず多くの労働者を雇うというわけではない。労働コストの逓減化が重要な産業はもはやタイ地方部よりも他国の大都市に進出するようになってしまうことが懸念される。これは、産業の分散によって地域振興を目指すタイ政府にとっては頭の痛い問題である。
また業種別立地は、隣接県の間で大きな違いが出ている。特にバンコク北部の家電・電気電子産業の集積は大きく、交通の便や労働力確保のしやすさなどに加えて、同業者が多く立地することによる規模の経済が発生したと思われる。日系企業が海外に進出した場合、日本国内で存在していたような同一取引先との継続的な関係による元請け下請け関係、いわゆるピラミッド構造はなくなるが、依然として日系企業同士での取引を基本としているため日系企業の集積が非常に高くなったものと思われる。
5-2 空洞化現象
外資導入によるタイの経済発展の一方で、日本では、1985年のプラザ合意以降の円高により、海外での現地生産の強化とともに日本国内での製造業就業者の減少、雇用情勢の悪化、地域経済への打撃、すなわち「産業の空洞化(現象)」が生じることになった。この空洞化現象を少し詳しく見てみると、どの産業、またどの地域でも同じような空洞化が起こっているわけではなく、国内の地域間分業構造を反映して空洞化現象に地域間に激しい差が出ている。
首都圏は質的に優れた労働力やノウハウ、さらには情報力・ネットワーク等がポイントとなって、空洞化の影響はそれほどでもないが、比較的単純な工程の、成熟産業の工場が立地する地方圏では企業の離脱が激しい。特定の製品の量産、組立基地としての性格が強い地方圏の工業地帯では、地域内の中小企業の集積度が低いため、独立志向の強い類型の中小企業が発生・発展しうる基盤が弱く、コスト競争力の強い海外生産拠点と直接的に競合し移転を余儀なくされた産業・企業が多かったのである。
5-3 国際的分業構造の進展
この現象をアジア全体での「地域間分業構造」と捉え地域的な性質をまとめると、図8のようになり、日本大都市圏~地方圏~進出国大都市圏~地方圏~‥‥という構図が示される。
生産工程のうち単純化され安定した、付加価値生産性の低い工程を、労働コストのより安い立地に移転することによる「地域間分業構造の国際化」は、日本の地方部の労働集約的な産業集積の海外への進出という動きにより、一方では日本の空洞化、他方タイなど東南アジア諸国では外資流入による経済発展という現象を生み出したのである。
将来においては、その単純化された産業・工程は、さらに労働力コストの安い立地を求めて移動することが考えられるが、それが各種の要因によりタイ地方部ではなく、他の国、例えばベトナム、フィリピン、中国などの大都市に移動してしまうことが懸念される。
6. まとめ
タイが外資を導入し今日の高度成長期に至るまで、国家計画やその他産業投資に関する計画は常に地方の振興に努めようというものであったが、その結果現れる現象、すなわち投資としての日系企業の立地、インフラ整備としての工業団地や道路の設置、さらには経済発展および格差としてのGPPの伸びなどは、いずれもバンコクを中心とする首都圏に偏るという、計画を裏切るものであったと結論せざるを得ない。
バンコク中心の発展は、県別、地域別などあらゆるレベルで見られる。県別では、現在バンコク周辺県が製造業の立地により県民総生産などの飛躍的な伸びを示している。郡別では、バンコクから伸びる主要国道沿いに多くの産業立地が見られ、それに伴い人口も増えている。
そうした経済発展に伴う大都市圏への一極集中問題の原因は、タイの発展が主に外国資本による製造業の発達によって成し遂げられ、それらが分業構造の中で単純化された工程を担当しているので、市場や特定インフラの影響が大きく、人口の大きいバンコクに集中してしまうという構造的なものであると考えることができる。投資する側が必要不可欠とする特定のインフラ、政府機関、市場、労働力がバンコクおよび近隣県にあっては、タイへの投資を一極集中構造から地方分散型へ移行させるのは非常に難しいことであった。今後、周辺諸国との「大競争」の中でタイが産業立地の地方分散を進めるためには、前述の一極集中の要因をクリアして地方部が産業投資にとってさらに魅力のある立地になる必要があるだろう。
7. 主要参考文献
1) 『ASEAN進出企業総覧'96』東洋経済新報社
2) 『盤谷日本人商工会議所会員数の推移(1965.4-1994.12)』盤谷日本人商工会議所
3) 第7次国家経済社会開発計画関連資料、NESDB
4) 『タイ国 経済概況(1994~1995年版)』バンコク日本人商工会議所、1995
5) 北村 かよ子『東アジアの工業化と日本産業の新国際化戦略』アジア経済研究所、1995
6) 城所 哲夫・瀬田 史彦・大西 隆「世界都市化にともなうバンコク首都圏の都市構造再編過程についての研究」日本都市計画学会
7) "Industrial Development Review Series Thailand", UNIDO, 1992
8) "From The First To The Sixth Decelopment Plan -Key Issues and Results-", NESDB
9) "Thailand Figures 1995-1996", Alpha Research, Manager Information Services
Development Plan (1987..91), NESDB
10) "The Seventh National Economic and Social Development Plan (1987..91), NESDB
11) 第7次国家経済社会開発計画関連資料、NESDB
12) 小川 雄平『タイの工業化と社会の変容~日系企業はタイをどう変えたか~』九州大学出版会、1995
13) 『タイの工業団地所在マップ』アイピカル
14) 萩野 瑞『東部臨海開発計画の概要』バンコク日本人商工会議所
15) 谷浦 孝雄編『アジアの工業化と直接投資(アジア工業化シリーズ)』アジア経済研究所、1989
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