特集 マレーシア:マルチメディアスーパーコリドー(MSC)(3)(シリーズ:不定期更新)
No.3 サイバージャヤの「MSCステータス企業」(2) 大学との協調と対立
2000.12.4
MSC(マルチメディアスーパーコリドー)は、日本では新情報都市建設というイメージで紹介されることが多いが、それはあくまで壮大なプロジェクトの一部である。あの黒川紀章先生設計の超巨大空港KLIA(広さは世界第二位)、日韓のゼネコンがそれぞれの棟を競って作りあげた超々高層オフィスビル・ペトロナスツインタワー(高さは世界第一位)もその計画に組み込まれている。IT産業の立地誘導についても、サイバージャヤに限ったことではなくペトロナスツインタワーやその他2カ所(テクノロジーパークマレーシア、UPM-MTDC)も「サイバーシティ」に指定され、IT・高付加価値産業の集積が見込まれている。
この4つのサイバーシティは、ITインフラをベースとしながら各々が際だった特徴を持っている。KLから遠い順に簡単にまとめると、
@サイバージャヤ:郊外の新規開発(オフィス・住宅・その他諸々)。完成すれば土地は広いし、環境(住環境も含め)は最高レベルになるだろう。しかし今はほとんどが工事中で、通勤やちょっとした買い物にも困ることがある。移動手段は基本的に車。KL都心や既存の開発軸であったクランバレーからもそんなに近くない。
AUPM-MTDC:マレーシアプトラ大学(UPM)と、政府企業マレーシア技術開発公社(MTDC)のジョイントベンチャーで出来たインキュベーションセンター。各ロットが小さく、通常の製造業や大企業R&Dには基本的に不向きで、立ち上げたばかりの小規模ベンチャー企業が多く立地する。入居は基本的に3年契約となっている。サイバージャヤよりは都心に近く、また環境もよいが、公共交通機関はバスしかない。
Bテクノロジーパークマレーシア(TPM):UPMよりやや都心に近い既存+新規開発。少しR&D的な工業団地というイメージで、すでに産業集積も大きい。環境も悪くはないし、高速道路沿いで、LRTも通っており都心まで公共交通で出ることができる。
CKLCC:ペトロナスツインタワーを中心とする都心の開発区域。オフィス+大規模商業施設の開発。企業立地では、当然ながらレントが高いのでベンチャー企業や生産施設等には不向きで、大企業の本部または支社、及びITトレーニングセンター等が立地することになる。LRT(ここでは地下鉄)も通り、にぎわいは平日もすごい。
という感じだろうか。
このうち、AUPM-MTDCだけが、他の違う性質を持っている。マレーシアには「インキュベーション(インキュベータ)センター」と名の付くところは、それこそいろんなところにあるが、まさにベンチャー企業の孵化器たるイメージは今のところ、このUPM-MTDCでのみ感じることが出来るだろう。マレーシア最大の大学UPM(学生数でマレーシア随一)、その脇の一角、比較的狭いエリアに多くの小企業が自分たちの技術を磨いている。
(下左)UPMは、昔は「マレーシア農科大学(Universiti
Pertanian Malaysia)」だったが、MSCプトジェクトに組み込まれ、既存の農業の枠を越えた研究が奨励されることに。しかしキャンパスの面影は昔の農科大学のままのようだ。
(下中央)UPM-MTDCの中。低層の青い屋根に白い壁。質素だが、きれいな感じ。渡り廊下には必ず屋根がついており、若者が行き交う。
(下右)2001年に空港と都心を結ぶ高速鉄道(ERL)はMSCを縦断する基幹幹線。建設は着々と進んでいる様子。
さて、ここでも幾つかの企業にインタビューを行った。
一つはマルチメディアコンテンツ製作会社。従業員は5〜6人だが、2分あまりのCGを一ヶ月半で仕上げるそうだ。様々な作品を見せてもらったが、不動産関連のもの(別荘の販売促進ビデオ等)が結構多い。計画物件だけでなく、幾つかの言葉だけを与えられそれらからイメージされ具現化された「都市」をCGで作成してくれ、といった面白い依頼も舞い込んでくるとのこと。
また別のある会社は、世界的に有名なサーチエンジン「AltaVista」のマレーシアサーバのメンテナンスを行っている。著者もこのサーチエンジンには現地調査前にお世話になったが、運営企業の意外な小ささに驚いた。平均年齢29歳の11人で運営している。ここに立地したのは、「リソースがあるから」。リソースとは、ファシリティの他、時に学識経験者の助言をもらうための研究室、そしてアルバイトの学生だ。インキュベーションの恩恵をフルに享受している様子である。
(下左)この会社は突然の訪問だったが、すぐにビデオを見せてくれた。コンクールにも度々出品して腕を磨いているらしい。
(下右)オフィスは質素で大学の院生室という雰囲気。他の会社も似たようなもの。ベンチャー企業はお金をまず別のところにかけるのだろう。
絵に描いたようなインキュベーション。その状況を管理しているMTDCの担当者に聞いてみた。
このインキュベーションセンターは、元々UPMが所有している土地を、MTDCに30年リースで有償で貸し与え、MTDCがそこで建物・インフラ整備及び管理などを担当すると共に、立地してくる企業に又貸ししている。大学との関係は深く、企業によってはアドバイザーに迎え入れたり、また教官自身が企業を実質的に運営していたりするケースもあるという。学生アルバイトは特に学期の間の休みに多く働いている。またMTDCがインキュベーションセンター内に専門学校(Multimedia
Academy)を設けており、500人程度の学生がIT関連技術を学んでいる。
この担当者はもう60歳前後のベテランで、元々製造業関連の企業に勤めていたが、長年の経験を買われてこのインキュベーションセンターの立ち上げを担当することになった。取材の後、センター内を一緒に歩いて幾つかの企業を紹介してもらったが、すれ違うほぼ全ての人がこの担当者と知り合い、というか先輩後輩といった雰囲気で非常に親しいようだ。またセンター全体としてもカジュアルな雰囲気で、オフィスや工業団地にありがちなドライな、あるいは無機質な雰囲気が全くない。大学の研究室と廊下のような感じで行き交う若者あるいはベテラン達が語り合っている。筆者もいくつかのIT集積を回ったが、ここほどイメージ通りのインキュベーション=(起業と創造の)孵化器に近いイメージをもった場所は見たことがない。
ただ、問題がないわけではない。マレーシアはもともとプランテーション農業を基礎としてきた国。製造業による発展はせいぜいここ20年のことであり農業人口は現在もまだまだ少なくない。国家プロジェクトMSCに組み込まれ名前も研究内容も改変されたとはいえ、元マレーシア農科大学の伝統と歴史を知る教官達の中には、インキュベーションセンターに対して必ずしもよいイメージを持っていないものもいる。あくまで農業をベースとした高付加価値化を目指しセンターもその方針に沿うべきとの意見、企業立地も所詮はMTDCが管理運営し大学とは切り離された存在だという冷めた見方、また若者に必ずしも大きなチャンスを与えず巨大開発の恩恵を不動産・建設部門と投資家が享受しているのではないかというMSC全体に対する批判などが見られる。
とりあえずはすでに全ての床が埋まり盛況のUPM-MTDC。拡張計画もあるとのことで、とりあえず成功を収めているが、大学との関係ではさらにもう一歩改善の余地があるようにも見えた。(つづく)■